佐野市での地鎮祭!朝方まで降っていた雨も上がり、
風も止んで暖かく気持ちの良い青空の下で式が始まりました。
紅梅も見頃を迎えてました「雨降って地固まる」幸先がいい!
神主さんは髪の長い若い女性の方。 装束も華やか!
式後、予め張っておいた地縄で建物の配置を確認して頂きました。
翌日からいよいよ基礎工事に入ります。
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佐野と言えばラーメン! 現場から100mも離れていない所に
「針谷ラーメン」があります。
現場に行く度にラーメンと餃子を頼むのですっかり顔馴染みと
なってしまいました。シンプルですが美味しくて飽きません!
3月11日、東日本大震災から4年が経とうとしています。
震災の翌月、針谷ラーメンの店主が中心となり、
佐野ラーメン店の有志6名が800食のラーメンを用意して
気仙沼の避難所に炊き出しに行ったとある事で知りました!
生半可な気持ちでは出来ないことです。
「針谷ラーメンさん! 竣工まで職人さん共々お世話になります」
それから3年前の2月、青森の陸奥湊港で食事をした店主に聞いた話。
久慈で被災した知人の所に見舞いに行ったとき、
ご老人がパンと牛乳を差し出したのでもらうわけにはいかないと
言ったら、そうではなくて自分が持ってきた握り飯と交換してくれ
もう毎日パンと牛乳だから・・・!
そしてこのご老人は高台の方を指差してこう言ったのだそうです。
「今度はあそこに家を建てる!」
その気概に満ちた言葉に人間の力強さを感じたといいます。
被災地では自衛隊の方々が黙々と黙々と作業をしていたとも
店主は言っていました。黙々と黙々と!このことも耳に残ってます。
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所在地は足利市なのですが現場からそう遠くない所に
伊萬里.鍋島のコレクションで名高い「栗田美術館」があります。
昭和50年の開館以来写真の二つに会いたいがため、これまでに
三十数回は行っているでしょうか!
江戸時代に建てられた両毛地方の豪農を移築した栗田山荘は後回し、
切妻の一文字瓦葺きの屋根に漆喰壁の本館に展示されている二点に
直行です。
お目当ての伊萬里焼の鸚鵡(オウム)の置物の造形力と色彩感覚、
有平文角瓶も大胆なデザインと色使い!
間近で見ても300年以上前に作られたものとはとても思えず、
見る度に胸が高鳴ります。
此処に展示されている全ての物が無名の陶工や画工達が作った
ものであることも、この美術館の特徴です。
充分に堪能した後は移築された民家の重厚な囲炉裏端へ!
現在はもうメニューにありませんが、
昼飯は塩おむすび(具なし)二個と梅干しと味噌汁、これが美味かった!
館長.栗田英男のこだわりの一品だったのだと思います。
大黒柱を背にして切り株に座り、伐採した薪の火と煙を見ながらの
昼飯タイムも、此処へ通わせた一因かもしれません。
栗田英男館長とこの囲炉裏で話をしたことも思い出の一つです。
その時は流石に大黒柱を背に座ることはしませんでした。
これらの焼物が作られた伊萬里ってどんな所なのだろうか・・・
行って見たいとずうっと思っていましたが、これも3年前に九州を
旅する機会がありやっと念願が叶い伊万里へ行くことが出来ました。
佐賀鍋島藩の御用窯の里である伊万里大川内山を散策!
窯元が軒を連ねる伊万里焼の中心地。昔陶工だったご老人と出会い
話を伺ったり、ふと見学に訪れた窯元「畑萬陶苑」
そこの四代目社長と造形大学を卒業して戻ってきた息子さんに
工房内を案内して頂きました。
栗田美術館に何回も行って憧れの伊万里へやっと来れたことも
話しました。私達のために飲み物も用意してくれて!
その憧れの地であった伊万里出身のお施主様の家が今月の末に
練馬で完成します。
お声をかけて頂いた時に奥様の出身地が伊万里だということに驚き、
更にお話をして行くうちに私が「畑萬陶苑」さんを知っていたことに
奥様はビックリなさってました。
これって「見えない糸」ってもので繋がっていたのでしょうか?
そうであったならばとても嬉しい!
◇
7日、霧雨が降ったり止んだりしている新宿御苑に行って来ました。
土曜日であるにも関わらず寒かったので苑内は人も少なく、
しっとりとした空気の中を歩きながら寒桜が咲くエリアに直行!
毎年この三本の寒桜を見ると春の訪れを感じます。
メジロの群れが花の蜜を求めてせわしなくうごきまわっていました。
梅は五分咲きぐらいがいい感じ! 桜は八分咲きぐらいかな!
苑内にはマンサクやサンシュウ.水仙.白梅紅梅、
既に沈丁花も咲いていました。
9日から上板橋の現場の解体工事が始まり、
桜が満開の頃、佐野の現場は棟上げとなります。
三枝