北上川河口域には国内最大級の葦(ヨシ)の群落が広がっています。
大使公邸の天然スレート屋根の葺き替え工事をやってくださったK産業さんの事務所と倉庫は、河口から約4km。旧大川小学校から新北上大橋を渡った対岸(被災前と同じ場所)にあります。
工事中、休憩時間に彼らと話をしている中で、
「夕陽で金色に染まるヨシ原を見てみたい!」
「是非見に来て下さい」
刈り取りは冬の風物詩。
期間は12月~3月です。
ヨシ原は河口から10km辺りまで広がっていますが、来襲した津波はなんと河口から49kmも遡上。
地盤沈下や塩分濃度などの変化で、ヨシ原の面積は半減以上。
近年地盤の隆起が確認されたりして生態系が戻りつつあるようですが、隆起だけではなく地元の人達の情熱があったからこそだと思います。
病原菌や雑草の種を除去する為に4月、切り株などを焼き払い、成長を促す火入れという大がかりな作業もそのひとつです。
「人の手をかけてやらなければ良質のヨシ原は維持できない」と先頭に立ってやっているのがK産業の社長なのです。
汽水域で育った良質のヨシは、国宝や重要文化財の保存修理に欠かせない材料として知られています。
「こころ旅」で、高い所が苦手な火野正平さんが、自転車を押して渡った全長565.7mの新北上大橋。
津波は橋梁の一部を流出させ、その高さをも越して遡上していきました。
K産業さんの事務所や倉庫にも津波が押し寄せ、東京駅舎に納品間際のスレートも流されて散乱。
新聞に載っていた写真は、捜索の重機が入る前に回収しなければと、必死で拾い集めている姿を撮ったものです。
事務所の隣の倉庫の外壁は、震災見舞いで来日したオランダの茅葺き職人さんが、風車の外壁と同じ方法で葺いくれたものです。
断熱効果もgood!
そしてK社長が是非見て欲しいと案内されたのが、上流の農家から移築し施工中の板倉造りの米蔵。
堂々たるその蔵には、年貢米を入れていたのかも。
石巻は北上川の水運で栄え、江戸廻米の集積地でしたから。
北上川河口が見渡せる素晴らしいロケーション。
これから造る下屋部分はガラス張りの展望テラスに。
レストランの開業は7月。
川面からかなり高いのは当然津波を意識してのこと。
新しい前面道路の約6m下に旧道がありました。
当日は曇り空。夕陽で金色に染まるヨシ原は期待薄。
でも少しだけ顔を出してくれました。
「残したい日本の音風景100選」の音は、新北上大橋辺りで収録されたもの。
これから刈り取る予定の、橋の少し上流に案内してくださいました。
日曜でヨシ刈り作業を見ることはできませんでしたが、寝かされていたヨシを起こし抱えてみました。
冬枯れのヨシの感触とカサカサ.バリバリという音と匂いを浴びながら、夕暮れのヨシ原を撮りまくっていると、刈り取ったヨシを運ぶ小舟がありました。
もっと居たかったのですが、冬の夕暮れは早く、1キロ先にある次の目的地へと移動。
長い橋を渡り終えた先に、旧大川小学校があります。
雪が残る校庭。崩壊した校舎を見てまわりました。
通って来たあの信号のとこが、目指した三角地帯か!
震災日は雪も降ってましたね。さまざまな感情が交錯。
この光景をしっかりと脳裏に焼き付け見上げると、コーコーと鳴きながら寝ぐらに帰る白鳥たちの雁行が!
その時、大川震災伝承館の灯りがパッと消えました
三枝