駐日◯◯大使公邸の屋根葺き替え工事が終了しました。
竣工時は洋館で有りながら優雅な反りをもつ本瓦葺きの屋根でした。
それを国産天然スレート葺きに変えた時期が不確かなのです。空襲で被災した後だったのかもしれません。
前回のブログにも書いたように、庇の内部には焼け焦げた部材が残っていたり、焦げた部材をそのまま使用したりと、推測ですが資材不足の時代です。
応急的?な修復をした後、その都度修繕を重ねて現在まできたのかな・・・と。
日本の所有建物ならば、国の重要文化財になって当然の歴史的建物です。
朝日新聞デジタルの記事
「謎の洋館は◯◯大使公邸 時代の荒波・・・」で検索してみて下さい。
天然スレート19,200枚の屋根の葺き替え工事は、岩手県石巻市のK産業さん。
会社は東日本大震災で大惨事となった大川小学校の対岸にありました。
倉庫から海に流出した納品直前のスレートを、自分達のことは後回しにして必死に回収。
その雄勝産スレートは東京駅舎中央の寄棟屋根に使用され、津波に耐えた復興のシンボルとして復原しました。
この事は以前にも書きましたが、何度でも書きたくなる出来事です。
木工事は富山県・国宝 高岡山瑞龍寺御用達。寺社建築を得意としている南砺市の宮大工Sさん。
日本の大工さんの技術は世界一と仰っていた大使には、当初の部材を大切に残しながら、劣化した箇所のみ交換し、
日本伝統の技法を応用した、トラスト構造の修繕作業を見て頂きました。
既存の構造は、ボルトと”かすがい”だけで造られています。
板金工事は全国の文化財建築物の修復修繕に声がかかる会社。
水切りや雨樋などには、0.35m/mと0.40m/mの厚い銅板を使用。
工事監督との話し合いで、雨漏りの原因となっていた壁の立ち上がり部分や、釘で止めてある水切りや棟板金は全て撤去。
一級建築板金技能士であるYさんの、その優れた技法と丁寧な仕事ぶりは、見ていても見飽きる事はありませんでした。
厚い銅板を二重に折り曲げ噛み合せたり溶接したりと、後世の人が感心するに違いない出来栄えです。
圧巻はYさんが製作した「軒天持ち送り」宮大工のSさんが作った木型に、厚い銅板を叩き付けて型を取り、熱を加えて又叩く!
それを先の尖った手作りの木のヘラで模様を浮き立たせてていきます。
消失していた4ヶ所に取り付けられ、竣工当時の姿が復活!
それを見た参事官は「感無量です」と仰っていました。
文化財の保存修理には、このような優れた技能と熱意のある職人さん達によって後世に伝えられていくのだと実感しました。
工事期間は夏でしたから、屋根は直射日光で半端ない暑さ。
火傷しそうなくらいに熱せられたスレートや銅板。
なおかつ急勾配で、屋根足場を架けた中での高所作業の日々。
それもマスクしながらですから、きつい作業です。
終業時、足場階段を降りて来る姿でそれがわかります。
集中豪雨にも毎回ドキドキさせられました。晴れていても工事終了時には、必ず防水シートをかけて帰るのですが、それでも雨が降ると朝まで不安でした。
夜中に激しい雨が降ったとしても、大使館ですからね!
駆けつけたくても中には入れませんので。
工事中、怪我も貴重な美術品に損傷を与えることも無く、完工できたことに安堵いたしました。
それからこの公邸の庭に、愛新覚羅溥傑・浩夫妻が、北京で愛でられていたアサガオが咲いたとしたら、
それはロマンかもしれない。
そんな勝手な想いを、大使夫人にお話申し上げましたら、快くお聞き届けくださり、今夏、縁の白い綺麗な赤紫色の花を咲かせてくださいました。
かつて浩さまが住まわれていた邸宅に、巡り巡ってあのアサガオが咲いたのです。
何か物語が完結したような感慨を覚えました。
4年前、種を分けて頂いた杉並ムーサの I 様に早速報告!
「恭喜!恭喜!」と返信がありました。
ゴンシイーゴンシイー
意味は中国語で「おめでとうございます」
大使夫人、大切に育てていただき感謝申し上げます。
三枝