東日本大震災から10年が経ちましたが、2月13日の夜は福島県沖、
3月20日は宮城県沖を震源とする大きな地震がありました。
津波は心配なかったようですが、かなり長く揺れてましたね!
あの時の余震だったそうで、あと10年くらいは続くとのことです。
この揺れで大使公邸の階段ホールにある豪華な装飾ガラスの木枠の上部が、
5cmほど外側にずれてしまいました。
何とか元に戻せませんかと相談されたのですが、明治期の実業家.
ヤマサ醤油創業者一族、10代目濱口吉右衛門の邸宅として建てられたこの建物は、
調度品.絵画など全てが芸術品。まるでミュージアム!
下手に手をつけられない歴史的な建物ですから返答に困りました。
今回、天然スレート屋根の葺き替え工事をさせて頂くことになりました。
やって頂くのは「重要文化財等の屋根工事」を請け負う宮城県石巻市北上町の業者さん。
会社と倉庫は北上川の河口近くにあり、対岸には高さ10mの巨大な津波が川を逆流し、
大惨事となったあの大川小学校があります。
東京駅復原修復工事で、赤煉瓦駅舎で使われていた約20万枚の天然スレートを外し、
使用できるものとできないものの選別と洗浄.補修を任されたのがこの業者さんでした。
倉庫の中には点検も終わり、出荷寸前だった最後の6万5千枚が、自宅や倉庫などと共に
津波で全て流されてしまいました。
石巻市の雄勝(おがつ)や登米(とよま)、自分のところの天然スレートが、
東京駅舎で使われていたことが地元の誇りだったといいます。
2週間、自分たちの事は後回しにして、家族や社員総出で一枚一枚拾い集め、
タワシで擦り洗い流した4万5千枚は、「赤煉瓦を愛する市民の会」など多くの方々の
支援を受け、「東日本大震災の復興のシンボル」として、東京駅でも重要な場所である
中央部と、印象的な南・北のドーム屋根に復原されました。
2012年5月9日のブログ「金龍山浅草寺と東京駅丸の内駅舎」で、この事を書きました。
東日本大震災を教訓として日本では11月5日を「津波防災の日」と定め、
平成27年の国連総会本会議では11月5日が「世界津波の日」に制定されました。
なぜ11月5日なのか? それは「稲むらの火」の逸話に由来します。
「稲むらの火」とは1854年に起きた安政南海地震の津波襲来を、
大事な稲藁に火をつけて、人々を高台に誘導させた出来事をもとにした物語です。
この主人公(五兵衛)は実在の人物で、ヤマサ醤油7代目当主.濱口梧陵(儀兵衛)。
この人は地震後の復興と防災に巨額の私財を投じて、仮設住宅や橋、
長さ600mの防潮堤を築いたり、被災した人達の雇用を確保したり、
小泉八雲は「生きる神」と称賛したといいます。
また医学への理解があり、TVドラマ「JIN -仁-」の中で、ペニシリンを作る施設の
醤油蔵や、多数の職人と資金を提供したのもこの方がモデル。
当時の社会事業に尽力した、稀に見る義の人だったそうです。
津波から村人の9割の命を救った濱口(梧陵)儀兵衛。
その一族である濱口吉右衛門が建てた築88年の天然スレート葺きの屋根を、
津波に遭われた人達の手によって葺き替えられます。
「稲むらの火」「濱口梧陵(儀兵衛)」「濱口吉右衛門」を検索してみて下さい。
2012年5月のブログは、津波で大事なスレートを流され、懸命に拾い集めた人達の
新聞記事を読んで書いたのですが、よもやその人達と仕事ができるとは!!
建物もですが、何か縁というものを感じてしまいます。
大工さんは国宝のお寺や歴史的建造物の保存修理をする富山県南砺市の宮大工。
複雑な造りの銅板製「軒天持ち送り」や雨樋は、同じく国宝や歴史的建造物の
保存修復には欠かせない会社が施工します。完成予定は11月末です。
先日、私のブログを読んでくださっている方を知りました。
U.M 様ありがとうございます。
三枝