26年前の言葉
この涼しさが続くとは思えませんが、ここ数日身体がとても楽です。
それと新人君2人が積極的にブログを載せ始めてくてれるので、
気持ちも楽です。
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TVがない生活が3年過ぎましたが盆休み中は2日ほど実家に滞在。
「御巣鷹山JAL123便の事故」あれから30年、ドキュメント映像や
戦後70年の節目の年、特攻隊のドラマなどを観る機会がありました。
日航機墜落事故では自衛隊員に抱きかかえられていてヘリコプターに
吊り上げられる川上慶子さんの写真が紙面に載ったのを覚えています。
事故後4年経った秋、ある方から陸自ヘリの体験搭乗に誘われました。
コックピットの直ぐ後ろのベストな席。
立川駐屯地から飛び立ち約20分ほどの飛行を体験しました。
そして多勢の隊員さん達と一緒に食堂でボリュームのある昼食をとっていました。
そんな中、隊員の一人が川上慶子さんを吊り上げている写真について話し始めました。
ある新聞に「あの惨状の中、あの隊員は笑っているではないか!けしからん」
そんな内容の記事が載ったのだそうです。
「私達としてはその記事が悔しくて悔しくてたまらない・・・」
あの現場で笑っている者などいるものか!
必死で歯を食いしばっていた顔がそう見えたらしい。
陸自の方が話すその言葉だけが長く耳に残っていました。
TVでもその写真が使われていたのでJAL123便事故で検索。
その中に、途上の片隅にて「風にそよぐ墓標」門田将隆 著より
へりに吊り上げる陸上自衛隊第一空挺団 佐久間二曹
「必死で歯を食いしばったのは、涙をこらえるためだった・・・」
この先は是非読んでほしいです。
そうだったのか!
26年後の今、その表情の真実を知り、陸自の方達の悔しさがわかりました。
◇
15日の「諏訪湖花火大会」今年は時間に余裕があったので、
爆破後もガンガンガンと浴びれたし最後まで見ることができました。
数十万人の観客が開催前に黙祷。
そして私が願うまでもなく鎮魂の花火として知られる「白菊」が
3発打ち上げられました。
「白菊」は新潟県長岡市出身の「伝説の花火師」嘉瀬誠次氏が、
亡くなった戦友の鎮魂を祈って作り上げた白一色の尺玉花火です。
真珠湾でも「白菊」が3発、戦没者の慰霊と平和の祈りが込めて打ち上げられました。
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つい最近、身近な人の母上様が終戦時、
特攻兵器人間ロケット「桜花」を作っていたと知りました。
胴体と翼はなんとベニヤ板で作っていたそうです!
「桜花」の特徴と隊員の訓練方法に唖然!
映画「永遠の0」でも大事な場面で使われていました。
靖国神社に実物大の模型があるので見に行ってきます。
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「豆柿の家」が外構工事を除き24日にお引渡しとなりました。
お施主様の信頼も厚い現場監督が頑張ってくれました。
雨樋をつけてあるのは渡り廊下の両サイドだけ!
その雨は半割の竹を被せた縦樋に落ち、その先は雨水升に直結。
石をセメントで固定し黒い小石を敷き詰め、塩ビの樋を竹で覆い銅線で縛る。
此処は竹樋にしたかったので私がやらせてもらいました!
その他の部分には雨樋を付けていませんので軒先がスッキリとして
素敵です。重厚でありながらも上品な家になりました。
このような家を建てさせて頂いたお施主様に感謝です。
ありがとうございました。
解体した家のその前に建っていた家の傷だらけの古材を玄関と寝室に使ったので
温かみのある雰囲気が出ました。
撮りたい角度からの外観はやっぱり建物全体が入りません。
外構工事が終わり柿の葉が色付いてきた頃、プロに撮ってもらおうと思っています。
お引渡しが終わった後、菊水苑の天然氷使用のかき氷を食べに!
私は苺のとちおとめ、監督は黒蜜!
店の前を流れる湧き水に膝下まで浸し歩いていると、川底の小石が
足の裏を強烈に刺激、痛い痛い!
川から上がると、かき氷の甘さと湧き水の冷たさで今までの疲れが
スーッと消えていく様だと現場監督が言っておりました。
一昨日調査に行った千葉県匝瑳市では早場米の稲刈りが既に
終わっていた田んぼを見かけましたが、栃木県佐野市近辺では
まだこの様な状態でした。
三枝