祭りと祀り
暦では立秋を過ぎましたが、全国各地では病魔や邪気を払う祭り、
五穀豊穣を願う祭り、また祖先の霊を慰める盆踊りや花火大会等々、
正に夏祭り真っ只中です!
八代将軍吉宗が前年の大飢饉の死者の霊や悪病払いの祈りを込めて
打ち上げたのが隅田川花火大会の始まりと言われています。
その数はなんと20発ほど!
浮世絵にもありますが花火の色は橙色のみ。明るさも月明かりより
多少明るい程度だった様です。
ド~ンと打ち上がった花火で一瞬明るくなった大勢の観客の中に、
また満月の月明かりの下で踊る盆踊りの幾重の輪の中に、
おぼろげな提灯の明かりやかがり火、それらが創り出す一瞬の陰影に
人々は亡くなった祖父母や父や母の顔を見出したりしていたのだと
いいます。
昔の祭りは故人を偲びやすい情緒ある明るさだったようです。
なんかうまく表現出来ないのがもどかしい!
それに比べ現在の祭りは明る過ぎます。観光客を呼ぶために
お祭りもショーと化し、踊る側と観る側に別れてしまいましたが、
越中八尾の「おわら風の盆」などは観光客が帰ったあとが本番!
哀愁漂う胡弓と唄と踊りのグループが暗い通りを流して行きます。
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毎週土曜日ごとに花火の音が響いてきます。
一昨年と去年、熱雷などに祟られ大変な目にあったのに
懲りてない私は今年も「諏訪湖祭湖上花火大会」に行ってきます。
打ち上げ数は4万発とか!
年々新色が披露されコンピュータを駆使した新作が、
華やかにそして豪快に次から次へと打ち上げられます。
その爆裂波を頭上からガンガンガンと全身に浴びていると
気分が高揚してとても故人を偲ぶまでの余裕は生まれません。
でも今年は新盆なので少しは・・・と思っています。
15日は終戦記念日。東日本大震災の年には開催前に皆で黙祷!
諏訪市長が「鎮魂~」と発し、3発の鎮魂の花火が打ち上げられ
目頭が熱くなったことを思い出します。
毎年終戦記念日に開催してますから、戦没者の方々への追悼の
意味を込めて花火を打ち上げてもいいのではとは私の思いです。
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日本一と言われる秋田県「全国大曲花火競技大会」のフィナーレを
飾る尺玉・大スターマイン30連発には哀愁が漂います。
大仙市民のみならず全国の大曲花火ファンも大好きな歌、
秋田県民歌をベースに作られた津雲 優の「いざないの街」
♫短い夏が終わるころに 竿灯の明かりが揺れる
言葉にならない切なさに・・・♫
のBGMにのせて、
一発づつすこし長めの間隔で、まるで弔砲のように打ち上げていきます。
そして歌は荘厳な旋律の秋田県民歌へと変調します。
♫秀麗無比なる鳥海山よ 狂乱吠えたつ男鹿半島よ
神秘の十和田は田沢と共に 世界に名を得し神秘の湖水♫
優しくも心に響く歌声に合わせて打ち上げられる花火の音は
人々の胸の奥に沁みていきます。
2年続けて行きましたが毎年でも観に行きたいと思う花火大会です。
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数年前に南九州を旅行した時、陸軍の特攻基地知覧に寄りました。
知覧武家屋敷の近くには特攻の母と慕われた鳥濱トメさんの富谷食堂
が再現されており、
平和祈念館には隊員たちの膨大な数の絶筆が納められていました。
真珠湾と形が似ていることから真珠湾攻撃を前に実戦を想定して
演習を行っていた錦江湾(鹿児島湾)
知覧飛行場から飛び立った特攻機が向かったのは、
薩摩富士と呼ばれる開聞岳!
本土の見納めとして万感の思いで一周し、
振り返り振り返り見た山として知られています。
行った日は曇っていました。隼や飛燕、疾風といった特攻機に乗り込み
あの山を旋回してから沖縄に向けそして敵艦に突っ込んで行った
1036名の若き特攻隊員!
黒い砂浜に打ち寄せる白い波と開聞岳の光景は強く心に残っています。
その人達のお陰で今があることを忘れてはならないと思います。
奇しくも知覧を訪れた12月8日は真珠湾攻撃の日でありました。
終戦から70年の節目の今年、真珠湾に係留され記念館となっている
戦艦ミズーリでは、旧日本軍の特攻隊による企画展が4月から開かれ、
来館者は隊員の思いを感じ取ろうとするかのように遺影に触れたり、
英訳された手紙を指で辿ったりしながら展示品に見入ってると
書いてありました。
そして8月15日には真珠湾で初めて長岡の花火が、
平和と鎮魂の願いを込めて打ち上げられるとのことです。
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夜、虫の音が大きくなってきたように感じます。 三枝