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ブログ

西沢森林トロッコ軌道跡

台風の進路にヤキモキした10月26日の見学会そして11月2日の見学会!
天気もさることながら消費税の事もあり、
果たしてこの時期にお客様は来て下さるのかと案じていましたが
あんなにも多くの方々がお越し下さるとは・・・!
中身の濃い見学会となりました。有り難いことです!

それから1日より日本経済新聞の電子版にバナー広告を載せています。
お陰様でアクセスして下さる方々の数もグ〜ンと増えています!

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さて見学会が終わった翌日、今年も「西沢渓谷」へ紅葉狩りに行ってきました。
一周約10km。約4時間の道程を沢沿いにクサリに掴まりながら遡上して行くと
次々と名滝が現れます。
五月カラマツ林に響き渡る春セミの声を聴きながら歩く新緑の渓谷も清々しくて
魅力的なのですが、この渓谷が最も輝くのはやはり紅葉のシーズンでしょう。

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親戚の叔父さんと初めて西沢渓谷を歩いてからもうかれこれ50年になります。
その頃ほとんど知られていなかったこの渓谷の奥の伐採地からは
巨木のヒバ材が昭和43年の廃止までの35年間「運材夫」と呼ばれた人達によって
全長36km自然勾配にブレーキだけでトロッコを操作し麓の塩山駅まで運んでいました。

日本で最後まで残っていた「馬車軌道」
登りは二台づつ馬で引き上げていたといいます。
細い鉄のレールが敷かれたまま残る軌道跡は本当に珍しく貴重な遺構で
「七ッ釜五段の滝」「不動の滝」を見た後の遊歩道として現在も使われています。

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険しい斜面に造られた狭い軌道、原木を満載し速度をつけて下るトロッコ、
カーブの途中でも緩むことのない勾配もあり運材夫にとっては命がけ!
脱線すればたちまち数十メートル下の沢へと落ちてしまいます。
帰路には落ちた人の名前になぞらえた場所が2ヶ所!

日本の廃線跡を探索するのが好きな人達は展望台から黒金山へ続く「通行不能」
の立て札を横目に、登山道を線路をたどりながら奥へ奥へと登って行きます。
その人達の体験談をネットで見ると、がけ崩れで線路が無くなっていたり
土石流で路盤が流され線路が宙に浮いていたり、丸太の橋が腐っていたりと
探索する「林鉄マニア」の人達も命がけです。

しかし彼らは線路が敷かれた当時そのままの風景に出会ったときの感激と嬉しさ
人の匂いが感じられるような宿泊小屋や作業場そして頑丈な石垣。
ヘアピンカーブや険しい岩肌に荷台の幅ギリギリに造った手掘りのトンネル,
そこをくぐり抜け感じた先人達の英知に感動し感涙する描写と数々の写真に
私は時間が経つのも忘れ読みふけってしまいました。

読んでる最中にも私の脳裏には常にあの時の光景が思い浮かんでいました。
初めて西沢渓谷を歩いた夏の午後、一番奥の「不動の滝」の傍らに
林業で働く人達を相手にした茶店不動小屋が在りました。

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そこから急坂を登り切った所で目にしたのは直径45cmはあろう原木を
満載して膨らんだトロッコに寄りかかり一服していた若い運材夫さんでした。
手拭いを首にかけ腕の太さの長い棒を脇の下にしっかりと抱え込んでいたと
記憶しています。
「せび」と呼ばれる簡単なブレーキ装置+丸太ん棒を車輪に押し付けて
満載し重量のあるトロッコを制御していたのだろうと思われます。

トロッコというよりも木製の台車と呼んだ方がピッタリな代物です。
その台車で曲がりくねったあの険しい危険極まりない路を搬出していたのです。
想像するだけでも彼らの大変さと苦労が知れます。

はからずも今は見たくても絶対に見る事の出来ない搬出中の光景!
記憶に残る貴重な光景に出会いました。
脳裏に焼き付いているとは言え、あの時今みたいにカメラがあったならば・・・
廃線3年前の出来事です。

西沢渓谷に来られた方にこの体験談を話すと羨ましがられます。ちょっとした自慢!

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鹿が目につき始めました。山が荒れてきました。

(三枝)