そろそろ日本の家【02】

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一 四季の風情

“和風建築”といわれて、皆さんはどんな建物を思い浮かべますか?

ある人は数寄屋の茶室や料亭の風景であったり、またある人は山間民家の集落、あるいは書院造りの武家屋敷であったりと、人によって様々な和風建築のイメージを持っているのではないでしょうか。ところが最近は、和風建築というと畳や障子、床の間といった室内の風景、いわゆるインテリアの和風記号を思い浮かべる人が大勢います。

つまり和風を感じる手がかりとはこうした和風記号の存在であり、そこには日本独自の四季が織りなす自然という要素はすっかり欠落しているのです。実はここに、和風の意味が大きく変化した理由のひとつが隠されています。

現代の生活の中には四季を感じさせる生活要素がほとんど失われています。本来日本の四季は、その気候風土がつくりあげた最も原始的な“日本的なるモノ”です。この四季の移り変わりのリズムとそれに対応する生活様式は近代まで日本人の気質にすり込まれていた、そう思われるほど定着したものでした。日本の文化的な特質の成立背景には、こうした四季の移り変わりに見る自然観とその四季に対応する生活様式がありました。

ところが現在はどうでしょう。確かに今でも夏と冬の気候の違いはありますし、季節毎に衣服も替え、食べるものもそれなりに異なります。しかし世の中に出回っている商品は、一年を通じて誰もが、何処にいても手に入れられるものばかりです。私たちは店先に並ぶ商品を、何も考えず手にし、漫然と消費して生活しています。例えば夏野菜とか秋に実る果物があるにも拘わらず、そういったものを今では季節を感じずに購入しているケースがほとんどでしょう。このような生活は一見便利に見えても、四季の風情を感じる余地を失うことにつながっているのです。こうして自然から必然的に切りとられた和風は、記憶の中で記号化された表面的なデザインの一様式になってしまったのです。

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私個人の感覚として和風建築を頭に浮かべなさいといわれれば、周辺の自然と一体となった風景としての建物、あるいは季節毎に変化する生活様式の風景が浮かびます。それはやはり幼少期の住まいの環境や生活に関する記憶の中に四季の自然が入り込んでいたからであり、自然サイクルと共に生活様式も組み立てられ、その生活様式と建物のしつらえが密接に結びついた体験をしていたからだと思います。しかしその後、私の家族も団地住まいになりました。今考えてみると、この時期を境に住まいは「便利さ」と「効率の追求」によってつくられるようになり、本質的な「生活の豊かさ」とは違った方向に進んでしまったように感じます。

しかし当時は、それで便利になった、綺麗になったと喜んでいたことも事実です。私だけでなく多くの人がそれを進歩だと感じて歓迎していました。それはおそらく人間社会の成長のステップというもので、このステップを経ることなしに次のステップへと進歩してゆくことができなかったのかもしれません。失ってみて初めて、日本人にとって四季の風情がどれだけ重要なものであったかを知ることができるというのは残念なことですが。

(つづく)

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